浦賀道(横浜金澤散策コース)

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浦賀道

現在の環状4号線の大道小学校あたりから分かれて、浦賀方面へ行く古道があり今もある程度たどることができます。昔栄えた六浦の海岸線を歩くと、その歴史を示す地名が残っています。江戸時代の黒船騒ぎの時は、早馬が往復した重要な道路であったと思われます。

三艘庚申塚
昔、三艘の唐船が寄航したのでこの地名になったと伝えられていますが、この庚申塚は17世紀から18世紀の二基の庚申塔からなり、当時の村境であったと思われます。村人たちは庚申(かのえさる)の日にこの塔の前に集まって、徹夜で談笑したことでしょう。
文殊堂
かつて三艘にあった文殊堂は現存しませんが、三艘町内会館には文殊菩薩像が安置されています。この像は戦国時代小田原北条氏の家臣、朝倉能登守景高の持仏でしたが、追浜の良心寺成立の際にこの地に移されました。
厄神様
450年程前、小田原北条氏と争っていた安房の里見軍がこの地に来襲しましたが敗れ、敗走中の武将がこの辺りで力尽き、近隣の人たちが手厚く埋葬しました。それ以来この村は疫病から免れるようになったので、厄神様として信仰されるようになりました。
傍示堂(ほうじどう)
武蔵国と相模国との境に天神山脈の尾根が横たわり、そこを貫いて浦賀道が走り、その傍らの地蔵様が祀られていた堂を”傍示堂”と呼んでいました。
現在は国道16号線沿いに他の石塔群と共に地蔵様が集められて祀られています。
浦郷陣屋跡
戦国時代、朝倉能登守景高が開いた陣屋があったところで、その後江戸末期まで使用されていたと云われています。京浜急行の踏切付近が陣屋のあった所で、今も”大門”と呼ばれています。
良心寺
久遠山大悲院。浄土宗。本尊は阿弥陀如来。元は曹洞宗の寺院でしたが、朝倉能登守景高が夫人の菩提を弔うために浄土宗に改めて再興しました。夫人の戒名”良心大姉”から寺名がつけられました。境内の山裾に夫人の墓がありますが、江戸時代に建造されたその石塔は、横須賀市の重要文化財に指定されています。
雷神社(いかずちじんじゃ)
社伝によれば、10世紀頃から天神崎にあった社を朝倉能登守が雷神社と改め、16世紀末にこの地に移転したといわれています。地元では”かみなりさん”と親しまれています。現在の社殿は、昭和35(1960)年に竣工した県コンクール入選の建築物です。
築島
昔ここは離れ小島でしたが、永禄2(1559)年落雷があり島のジャビャクシンの木が黒こげになりました。その木は今も腐らずに残っていますが、その時居合わせた12人の女性たちが無傷で助かったのは奇跡として、雷神社が一時ここに祀られていました。


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