金沢八景

室町時代末期から江戸時代になると、湖や内海を囲んだ風景の美しい所を、中国の瀟湘(しょうしょう)八景(湖南省洞庭湖付近)に見立てて、各地に○○八景が生まれました。
 
 
「金沢八景」
金沢八景は、金沢の八つの勝景をあてはめたものです。
 
金沢の景勝は、中世において既に知られていましたが、金沢八景の名称が成立したのは、近世になってからです。
 
金沢八景の命名者は、中国明代の僧、心(しん)越(えつ)禅師(ぜんじ)です。
心越は元禄時代、徳川光圀に招かれて、水戸祇園寺の開山となった人です。
 
心越が金沢に来たのは、元禄七年(1694)といわれています。
心越は再び見ることのない故郷の杭州西湖を偲びつつ、金沢の能見堂からの眺望を瀟湘八景になぞらえて八編の漢詩を詠みました。
 
これ以降、多くの文人が金沢八景の地を訪れるようになり、19世紀には庶民が遊山に来るようになりました。
また、歌川(安藤)広重によって描かれた「武州金沢八景」八連作が、より金沢八景を世に広めました。
 
 
「洲崎晴嵐(すさきのせいらん)」
「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」
「小泉夜雨(こずみのやう)」
「乙舳帰帆(おつとものきはん)」
「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」
「平潟落雁(ひらかたのらくがん)」
「野島夕照(のじまのせきしょう)」
「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」
 
の上の二字は金沢の土地から、下の二字は瀟湘八景から取られています。
 
 
 
歌川広重の金沢八景
金沢八景は他の絵師も描きましたが、やはり広重の金沢八景が当時も一番人気でした。

「小泉夜雨(こずみのやう)」 小泉は今の手子神社方面

 
「平潟落雁(ひらかたのらくがん)」 平潟での潮干狩りの様子

 
「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」  内川は瀬ヶ崎方面で雪に埋もれた塩田がある

 
「乙舳帰帆(おつとものきはん)」  左手は今は埋め立てられている小柴の岬

 
「野島夕照(のじまのせきしょう)」 手前に観光船、奥は網船、観光と漁業の町の姿がわかる

 
「洲崎晴嵐(すさきのせいらん)」 瀬戸橋付近の松並木

 
「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」 今は埋め立てられ一部は海の公園になっている

 
「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」 瀬戸の橋を中心に右に料亭、奥には野島が見える

 
 
 
 

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