横浜市金沢区・歴史


時代・年号 主な出来事
有史以前 縄文時代早期
(9000年前)
夏島貝塚・夏島式土器・(横須賀市夏山)
縄文時代前期
(7000年前)
野島貝塚・(史跡指定)・野島式土器
縄文時代中期
(4000年前)
称名寺貝塚・称名寺式土器(一部消滅)
青ケ台貝塚(消滅)
奈良 神護景雲2年(西暦768) 武蔵国「久良(くら)郡」の地名が歴史に初めて登場する。久良郡は、現在の金沢区を含めた横浜市南部の地域をいう。
平安 承平年間(931~938) 久良郡「浦(ふくら)」の地名が記録される。浦は六浦庄を指し、六浦庄は現在の金沢区全域をいう。
鎌倉 治承4年(1180) 源頼朝が瀬戸神社を建てた(伝)
北条政子が琵琶島弁天を建てた(伝)
建久2年(1191) 源頼朝が富岡八幡社を建てた(伝)
仁治2年(1241) 朝比奈切通しが開かれた
正元元年(1259) この頃、北条実時が称名寺を建てた
嘉元3年(1305) 金沢貞顕が瀬戸橋を造った
元亨3年(1323) 金沢貞顕は称名寺の七堂伽藍を完成した
正嘉2年(1333) 鎌倉幕府滅亡。金沢貞顕、貞将父子も鎌倉にて死亡。金沢北条氏滅亡。
室町 永享10年(1438) 鎌倉公方・足利持氏称名寺に逃れ剃髪。六浦一帯は戦場となった。「金沢合戦」起きた。
江戸 寛文8年(1668) 永島泥亀が走川と洲崎に新田を作った。歴史上金沢地区の新田開発の初めての記録。
元禄16年(1703) 心越禅師の漢詩に対し、京極高門が和歌で金沢八景の景色を称えた
享保7年(1722) 米倉氏が六浦引越村に移り住み、金沢藩が成立した。後に六浦藩と改名した
嘉永2年(1849) 九代目・永島泥巣が泥亀新田(でいきしんでん)を完成させた
嘉永7年(1854) 米使節ペリーが昨年に引き続いて再び来航し、小柴沖に軍艦七艘を停泊させ、横浜村で日米和親条約を締結した。これにより日本は鎖国から長い開国に動きだした
安政6年(1859) 横浜港が開港
明治 明治21年(1888) 伊藤博文ら洲崎東屋で憲法の起草し、後夏島に移り憲法を完成させた
明治43年(1910) 長い歴史を持つ金沢・六浦の塩田は、製塩地整理法によって廃止された
近代 昭和5年(1930) 湘南電気鉄道(現在の京急)が黄金町・浦賀間と金沢八景・逗子間に鉄道を開通させた。
昭和23年(1948) 磯子区から独立し金沢区が誕生した
昭和63年(1988) 海の公園・海水浴場がオープンした
金沢動物園が開園した
平成元年(1989) 金沢シーサイドラインが開通した
平成5年(1993) 八景島シーパラダイスが開園した
平成20年(2008) 区政60周年記念事業として、「新金沢八景」が区民投票で選定された

 
 

横浜市金沢区

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