金沢区に残っている、二つの磨崖仏(まがいぶつ)の一つです。
昔、朝比奈町は相模国鎌倉郡に属し、峠村と呼ばれていました。
ここは鎌倉と金沢を結ぶ大切な街道で、この地蔵の東わずか2メートルの所が、武蔵の国との国界(くにざかい)でした。
これから西は相州、東は武州で相武の境にあたるので、「界の地蔵」、また鼻が欠けているところから「鼻欠地蔵」とも呼ばれていました。
この地蔵から北へ行く道があり、釜利谷に出て能見堂に登る道と、本郷の入り口で大船の方にも抜けられる岐れ道もある交通の要所でした。
今は風化が進み、地蔵の顔や姿は説明されないとわからない程になってしまいました。
最寄駅 | 京急線「金沢八景駅」より京急バス 「大道中学校前」下車 前方 |
朝夷奈切通し
鎌倉の十二所へ下りて行く山道で、「朝夷奈切通し」と言い、鎌倉七切通しの一つで、国の指定史跡になっています。
和田義盛の三男・朝夷奈三郎義秀が一晩で切り開いたという伝説からこの名がついています。
和田一族滅亡後、この地域を直接支配した鎌倉幕府は、1240年この峠道の開削にかかりました。
・・・詳細;朝夷奈切通し
白山道奥磨崖仏し
白山道の右側奥の崖の中腹に、よく見ると大きな仏像の顔が掘り込まれています。
このように岩面や洞窟内の壁面に仏像を刻みつけたものを磨崖仏と呼んでいます。
ここにある磨崖仏は、永い間に風化し、僅かに岩肌に顔の部分だけが、約4m程、それとわかる輪郭でしか残されていません。
この磨崖仏の造られた年代や由来はわかりませんが、東光禅師との関連で、薬師如来の尊像を刻したものと考えられています。
・・・詳細;白山道奥磨崖仏