金沢地区の干拓事業をすすめてきた永島家六代目段右衛門が、金沢入江新田開発のため造ったものといわれています。
この新田開発は干潟を埋め立てて行ったため、満ち潮のとき、海水の流入をどのようにして防ぐかという問題が発生しました。
この問題を解決したのがこの水門です。
門扉が海側にのみ開閉することにより、潮が満ちれば水門が閉じ、干潮のときには開いて宮川の水が流れ出るようになっていました。
姫小島の名前は「照手姫と小栗判官」伝承によると、照手姫が、この島で松葉いぶしの難に遭ったと云うことで、この土地の人が哀れみ「姫小島」と呼ぶようになったそうです。
完成:天明5年(1785)
復元:平成5年(1993)
最寄駅 | シーサイドライン・京急線「金沢八景駅」より徒歩5分 |
瀬戸神社
瀬戸神社には、鎌倉時代から伝わる多数の文化財が保存されています。なかでも源実朝が使用し、母の北条政子が奉納したといわれる舞楽面二面(抜頭面と陵王面)が平成12年、国の重要文化財に指定されたことが特筆されます。
境内には、東照宮から移設された石灯篭一対、謡曲「放下僧」の仇討ちの現場が当神社の境内であったとの解説板、延宝8年(1680)の大暴風で倒れた蛇柏槙(じゃびゃくしん)などがあります。
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琵琶島神社
治承4年、源頼朝が三島明神を勧請して瀬戸神社を創建した時に、夫人の北条政子が夫にならって、日頃信仰する琵琶湖の竹生島弁財天を勧請して、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられています。
祭神は立ち姿なので「立身弁財天」、また、島の形が琵琶に似ているので「琵琶島弁財天」とも呼ばれています。
・・・詳細;琵琶島神社